つまみ細工は正方形の小さな裂を折りたたんで糊づけし台紙の上で花や蝶などを形作る伝統工芸です。
つまみ細工には主に羽二重と呼ばれる着物の裏地等に用いられる薄い平織の絹やちりめん生地などを用います。
糊は小麦を原料とするしょうふ糊や米糊(姫糊)等昔ながらの釜炊き製法で作られた炊き糊を用います。
◼︎発祥
その発祥は京で宮廷の女官たちが着物の余り布を用いて花飾りを作り始めたことによると伝わっています。その製法が初期にどのような経路をたどって広まったかはよくわかっていませんが、明治期に全国に広まったと考えられています。
◼︎江戸時代
江戸時代中頃につまみ細工の技法は東に伝わり、江戸で専門の職人によってつまみ簪が作られ始めました。
江戸において、つまみかんざしは武家だけではなく町娘たちの間で大流行しました。
また、つまみかんざしは地方から江戸に訪れる人々の華やかで洒落た『お江戸を象徴する土産』としても重宝されました。
華やかで軽やかなその独特の風情に加え、庶民にも比較的手軽に買える値段、また薄布を主な素材とする故に重量が軽かったことも土産物として人気が出た要因だったとも言われています。
◼︎明治・大正
つまみ細工について現存する多くの記録が現れるのは明治大正期になります。
この時期「摘み師」「花簪師」等と称する専業の職人達によりつくられていたつまみ細工の技法が一般の婦女子に広まっていった時期でもあります。
明治30年代半ばには国が女子教育の一環として手芸全般を奨励し、それに伴いつまみ細工も造花と並び女学校の科目に入りました。これによりつまみ細工を技芸として習う人が急激に増加し、つまみ細工を教える技芸学校等も増えたといいます。
明治40年代から大正にかけて技芸学校で教鞭をとる教師(講師)らによってつまみ細工の教則本も多く出版されました。
つまみ細工の技法は従来の職人ではなく技芸学校で教鞭をとる教師(講師)により広く世間に広まったともいえるでしょう。
◼︎現代
日常生活において女性の髪型の変化、また時代が降るとともに訪れた着物着用の機会の減少につれて、商品としてのつまみ細工の生産は減少しました。
現代では一部を除いて、つまみ細工が登場する機会は花街や舞台、七五三や成人式などに限られているといえるでしょう。
専業者によるつまみ細工の生産減少の傾向にありますが、1900年代後半あたりからつまみ細工を趣味として学ぶ人が段々と増加しました。2000年代より全国につまみ細工を趣味の一環として教える教室が増え、つまみ細工のレッスンを生業とする人や趣味で教室に通う人が増加しました。
昨今の手芸ブームにものり、今まさに明治期と同じ現象が起きているともいえます。